水と緑豊かな郷「荻生(おぎゅう)」 | 富山県黒部市/荻生の舘

八幡社

八幡社(はちまんしゃ)

見どころ

天照大神を祀る神社で、開拓者である有倉家が京都へ上り、八幡社の御神体を勧請して参り、長正寺の八幡墓の隣に社を建て、氏神としたと伝えられています。明和の頃、黒部四十八ヶ瀬が氾濫し、建物、古書類がことごとく流出し、往古はつまびらかではありません。

現在の場所に社殿が移り、完成したのは慶応2年(1866)。昔の里の人々が譽田別命の御神徳を崇敬し、村の中央に社殿を建立、「八幡杜」と称して春秋の祭典を盛大に行われました。秋の祭典には各部落が競って自慢の花火を昼夜数百発も打ち上げ、「八幡花火」と称してたいそう賑わいを見せたそうです。
明治41年(1908)2月には、神饌幣帛料供進神社に指定されました。

八幡社と日枝社の社標額は、宇奈月町内山にあった大きな「とちの木」で作ったもので、山岡鉄舟の揮毫で明治23年(1890)4月に出来上がったものです。境内には大きな楠やヒマラヤスギがあり、忠魂碑や顕彰碑があります。
「壇ノ浦の戦」の絵馬など、さまざまな神社絵馬も奉納されています。

秋の子供神輿や相撲など、現在も荻生のよりどころとなっています。


【日枝社と八幡社】
日枝社は山王様と称し、元字大橋地内にありました。最初移住して来た猿倉平左ヱ門と有倉九郎左ヱ門が互に自分の氏神であるといい張り、ついに翌年元旦の初詣に早く参拝した者の氏神にすると約束し、猿倉が参拝終って帰る途中鳥居の所で有倉と出合い、猿倉の氏神となったので有倉が其の後京都へ上り、八幡社のご神体を勧請して参り、長正寺の八幡墓の隣に社を建て、氏神としたと伝えられています。
其の後、日枝社のご神霊が猿倉一族の夢枕に立って若栗方面から土地をせって来るので、若栗との村境近く遷してほしいとのお告げがあったというので現在の地に遷座せられたといわれています。
慶応年間村社である日枝社が村の中央から離れて不便であるというので現在の八幡社の場所に造営することとし、日枝社の遷座を乞うたところ猿倉一族は之に反対し、もしもご神体を盗むに来るようなことがあれば、打殺してやるといきまいて、中にはまさかりを研いで社に泊り込んだ人さえあったのでついに之を断念し、次善の策として、有倉一族の氏神である八幡社に遷座して貰うことになったといわれている。


 

八幡社
黒部西瓜の顕彰碑

INFOMATION

名称 八幡社
所在地 富山県黒部市荻生5855(中村地区)
備考 ■祭神 譽田別命・天照大神
■春祭 3月26日
■秋祭 10月17日
■新嘗祭 11月23日

MAP

荻生MAPダウンロード
お問い合わせ