水と緑豊かな郷「荻生(おぎゅう)」 | 富山県黒部市/荻生の舘

日枝社(ひえしゃ)

見どころ

言い伝えによると、寛保年間(1741〜44)に部落鎮護として勧請、社殿を建て「日枝社」と号し、その地を神明堂と称したとされています。
社殿、境内はかなり広大でしたが、黒部川の洪水にあい、すべて流失しました。現社殿は、天保年間(1830〜39)に建立されたものです。

八幡社と日枝社の社標額は、宇奈月町内山にあった大きな「とちの木」で作ったもので、山岡鉄舟の揮毫で明治23年(1890)4月に出来上がったものです。
「曽我兄弟仇討ち」の絵馬など、さまざまな神社絵馬も奉納されています。


【日枝社と八幡社】
日枝社は山王様と称し、元字大橋地内にありました。最初移住して来た猿倉平左ヱ門と有倉九郎左ヱ門が互に自分の氏神であるといい張り、ついに翌年元旦の初詣に早く参拝した者の氏神にすると約束し、猿倉が参拝終って帰る途中鳥居の所で有倉と出合い、猿倉の氏神となったので有倉が其の後京都へ上り、八幡社のご神体を勧請して参り、長正寺の八幡墓の隣に社を建て、氏神としたと伝えられています。
其の後、日枝社のご神霊が猿倉一族の夢枕に立って若栗方面から土地をせって来るので、若栗との村境近く遷してほしいとのお告げがあったというので現在の地に遷座せられたといわれています。
慶応年間村社である日枝社が村の中央から離れて不便であるというので現在の八幡社の場所に造営することとし、日枝社の遷座を乞うたところ猿倉一族は之に反対し、もしもご神体を盗むに来るようなことがあれば、打殺してやるといきまいて、中にはまさかりを研いで社に泊り込んだ人さえあったのでついに之を断念し、次善の策として、有倉一族の氏神である八幡社に遷座して貰うことになったといわれている。


 

日枝社

INFOMATION

名称 日枝社
所在地 〒938-0801 富山県黒部市荻生新17
備考 ■祭神 天照大神、大山祇命
■春祭 3月26日
■秋祭 10月17日

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